【file.4】30代、男性、タップダンサーの場合。~自分がやりたいことをやる編~

【file.4】30代、男性、タップダンサーの場合。~自分がやりたいことをやる編~

編  吉岡さんは北海道出身でしたっけ?

 

吉岡 そうです。札幌です。

 

編  東京にきたのは、なにがきっかけで?

 

吉岡 専門学校ですね。ミュージカルの専門学校です。八王子にある学校に2年間くらい通っていました。

 

編  ミュージカルの道を目指していたんですか。

 

吉岡 高校を卒業する頃に、演劇くらいしか勉強したい事がないな、と思って。高校の時は演劇部でしたから。

 

編  もともとそういう人前で何かやりたい願望があって演劇部に入ったんですか?

 

吉岡 いや、元々は女性と出会いたいからですね。

 

編  

 

吉岡 高校が男子校だったんですよ。なので、出会いがないじゃないですか。当時はそれだけで、あー人生おわ

ったなとおもって。

 

編  そうですね。

 

吉岡 そういう時に、僕は兄貴が同じ学校にいたんですけど、兄貴が「お前絶対演劇部入れよ。出会いあるから。」っていってきて。それで「女性との出会い」に反応して演劇部にはいりました。

 

編  お兄さんが勧めたとしても普通の高校生とか大学生って彼女ほしいな=「よし演劇部入ろう」ってならなさそうな気がしますけどね。

 

吉岡 今思うと、まずならないですね。

 

編  ですよね。

 

ならないですね。

 

 

吉岡 でもですね、いざ入部してみると当時2つ上の代のかっこいい先輩とかはたしかにモテまくっていたんですよ。

そして、学校は光星高校っていうんですけどその演劇部が結構地元で有名で、やる芝居もあんまりシリアスな演技とかじゃなくて、喜劇というかおもしろい劇をやるんですね。

 

編  いわゆる、笑わせるような?

 

吉岡 そうですそうです。で、それがまたまわりに受けがよかったっていうのもあると思うんですよ。

 

編  なるほど、そこはわかりましたが、何かおかしいですね。その方はそもそもがかっこいい人なんですよね?

 

吉岡 めっちゃかっこいいです。

 

編  うん。言っていいかわからないんですけど、その人はたぶん演劇部じゃなくてもモテてましたよね

 

吉岡 ・・・そうですね笑。まぁでも、その人の代からの流れで1つ上の先輩とかも女性と交流が当たり前にできてたんですよ。1つ上の先輩は顔関係なくモテてましたね。

 

編  まぁ、そういうヨコシマなきっかけで演劇部に入ったけど、卒業後も続けたいと思うほど好きになった?

 

吉岡 そうですね。人前に出るとかも好きでしたけど。

それまではギターとかやっても、なにも続かなかったんですね。でも演劇だけは3年間やれたし、今後もやりたいなって。

 

編  わざわざ東京のその学校に行こうとなった理由は?

 

吉岡 今はわからないですけど、当時は演劇を勉強する学校が札幌にはほとんどなかったんです。ほんとは最初ミュージカルじゃない学校にいきたくて。蒲田に日本工学院の演劇科があるんですけど、それを受験したら落ちて。普通専門学校って落ちるもんじゃないと思うんですけど。

 

編  落ちるはずがない学校に落とされた。

 

吉岡 それで、仕方なく当時新しくできた八王子のミュージカル科っていうのを受けたら受かって。

そこは受けたらだれでもはいれる感じだったので大丈夫でした。

 

編  僕は全然わからないんですけど、演劇の専門学校も2年通うんですか?

 

吉岡 2年です。

 

編  2年通ったら就職先があるとか、そういうことですか?

 

吉岡 みんな在籍中にいろいろオーディションを受けたりして、それで卒業後劇団にはいったりしますね。あとは、卒業後でもそういう仕事を探す活動をする人もいたり。

 

編  なるほど。在籍中から動くわけですね。

もしそれで在籍中になにも決まっていなくても卒業すれば、例えば就職に有利な何か資格が手に入るとかそういうことでもないんですよね?

 

吉岡 何もないですよ。

 

編  じゃあその学校在籍という経歴だけなんですね。

 

吉岡 そうです。

 

編  吉岡さんはそこで学校を卒業して、どうなったんですか?

 

吉岡 そのあと〇〇〇に務めます。(某有名テーマパーク)

 

編  急ですね。それ掘り下げていいですか?

 

吉岡 言えないこともありますけど笑。

 

編  まず就職はどのように決まったんですか?

 

吉岡 通ってた専門学校というのがもともと劇団四季とつながりが深かったり、その他にもいくつか就職先候補みたいなものがあったんです。

その中の1つに僕が勤めることになるところもあって。こういう就職情報みたいなのは学校側や友人などから情報がまわってきます。

それで、そこだとダンサー着ぐるみキャラクターっていう募集があるよという感じで情報がまわってきて。

 

編  もともとそこ(テーマパーク)に憧れというか、行きたいなという気持ちはあったんですか?

 

吉岡 まったくないですね。興味なかったです。

 

編  なさそうなタイプですもんね。

 

吉岡 でも3次試験くらいまであるのを受かって。それで学校がおわってすぐ勤めることになりました。今思えば運がよかったのかもしれないですね。

 

編  そこには何年いたんですか?

 

吉岡 1年とちょっとです。そこは就職する時の競争率が結構高くてですね、まずキャラクターとダンサーの募集にわかれてるんですよ。でもそもそも学校での2年しかダンスもしてなくて自信もないから僕はキャラクターを受けたんですよ。

 

編  なるほど、受験時にそもそも分かれてるんですね。

 

吉岡 最初から分かれてます。受ける人も全然違いますね。

で、これは後々知ったんですけど、自分の友人は全員ダンサーを受けてたんですよ。キャラクター受けたのは俺だけだったんです。

 

編  1人だけキャラクターが好きみたいに思われますね。

 

吉岡 そうなんです。自分はダンサーになるほどの自信がないからそっちを受けただけなんですけど、後でそれをきいたとき、「えー!そんなみんなダンスうまくないじゃん!」って思いました笑。

「2年踊ったくらいで受かるもんなの!?」って。

 

編  それで結局何人が受かったんですか?

 

吉岡 1人だけですね。ちなみに女子は受かるのが特に難しいんですよ。

 

編  なるほど。

 

吉岡 男子はあとあと聞いた感じだと僕でも入れた、のかもしれないですけどね。女子は全然難しいみたいです。

 

編  やっぱり外見も見られたりするんでしょうね。あの外人さんの中に紛れて踊るんですよね?

 

吉岡 あ、外人はまた別枠です。

 

編  そうなんですか。では同窓生はほとんどが落ちていったんですね。

 

吉岡 そうです。僕だけがキャラクターを受けて、それで受かったんですけど、ダンサーを一緒に受けてたら僕も落ちてたかもしれないので、今思えば結果としてよかったのかなと思いますね。

 

編  で、1年ちょっとキャラクターをやってやめるわけですよね。もともとキャラクターになりたかったわけじゃないと思うんですけど、やはりやってみて面白くなかったんですか?

 

吉岡 うーん、まぁ一番のやめた原因は病気したことですね。過労でヘモグロビンの数が減って、入院したりで結構大変でした。

 

編  ダンサーって体力的に大変なんですね。最近も同じような、テーマパークが過酷すぎて働けなくなって、それに対して初めて労災がおりたとかニュースになっていましたね。

 

吉岡 その件も確かキャラクターの中に入る感じの仕事みたいですよ。

 

編  やっぱりそこまできついんですか?

 

吉岡 当時は若かったのもあってショーもいっぱい出させてもらったりしてたんですけど、あれは半端じゃないですね。はっきりいって人間の限界超えてましたね。

 

編  そんなに?キャラクターじゃなくてダンサーだったとしてもそんな感じですか?

 

吉岡 いや、ダンサーもきついですがキャラクターはもっとです。中でもきついキャラクターってあるんですよ、元気いっぱいじゃないといけないみたいな位置づけの。そういうのはホントきついです。

 

編  着ている物が重いんですか?

 

吉岡 それもありますね。でも当時は僕は先輩に偉そうにされてたのもあって、なんかそれに反抗して、「新人だけどめちゃくちゃ高いパフォーマンス見せてやる」みたいな気持ちがありました。かなり調子にのってやりすぎました。それで病気になっちゃいました。

 

編  その前からやめたいなっていうのもありましたか?

 

吉岡 ありました。なんかぬるま湯だなって思ってました。

 

編  え?しんどいのに?

 

吉岡 しんどいのはそりゃあまぁそうなんですけれど、キャラクターをやっている間も、自分の中には今までやってきていたダンスをやりたいという気持ちがずっとあったんですよ。

 

編  はい。

 

吉岡 当たり前ですが、そこで披露するショーなどは2ヶ月間くらいは決まった振り付けを繰り返し踊るんですよ。もちろん好きな事で仕事をしているという、そういう喜びはありましたが同じ振り付けを繰り返してもダンス自体が上手くなるわけではないから、そこに不安を感じていました。

でも不安を感じながらもお金は入ってきているので、それで生活ができる。だからやめられない。でも本当はもっとダンスを上達させたい

今とは違った、上達できる環境に身を置きたい。そういう気持ちがあるのに、なかなかその生活を抜け出せなかったのでまるでぬるま湯に浸かっているような感じがしていました。 

 

編  なるほど。個人技が伸びていく感じはないっていう意味ですね。

 

吉岡 それでタップダンスがやりたいなって。

 

編  急ですね。

 

 

 

吉岡 実はタップダンスは、専門学校の時に全員やるんですよ。授業を受けないといけないんです。

最初は嫌いだったんですけれど、実はそこ(テーマパーク)に入る少し前からタップにはハマりはじめてて、自分でスタジオに通って練習するようになっていたんです。

そこで働いているときでさえもスタジオに通って自分で練習を続けていました。

 

編  じゃあそこをやめたときにタップの道にいこうって決めてたんですか?

 

吉岡 やめた直後はまだミュージカルの道に行きたいと思っていました。でも徐々にですがタップに費やす時間の割合が増えて、そしてメインがタップに変わっていった感じです。

 

編  急なわけではなく徐々にだったんですね。

 

 

 

タップシューズ

 

 

 

吉岡 タップの道に言った理由はいくつかあって。もちろん楽しいからタップをやりたいという感情

それと、こういう業界は「研究生」っていう身分があるんです。例えば劇団四季の研究生なんかだと、毎日そこで練習してそこから上達してはじめて舞台にあげてもらえたりするんです。いわば修行中の人です。

なんで研究生の話をしたかというと、研究生はほんとに毎日ダンスや歌、芝居を練習する、一日中そのことを考えていられる。僕はそういう状況に一度身を置いてみたかったんですよ。

 

編  そうなんですね。そうやってストイックに自分の技術を突き詰める、没頭してみたいという感情があったのはわかりましたが、それはミュージカルや舞台では駄目だったんですか?

 

吉岡 実はミュージカルや舞台の業界には冷めてしまったんです。僕は劇団四季の研究生は3回受けました、結果はだめだったんですが。

 

編  審査は何段階かあるわけですよね?

 

吉岡 はい、僕は1回だけ1次審査を通過したことがあります。1次審査は書類審査です。

まぁ書類で落とされるってなんだよ、って感じなんですが。2回目のオーディションで1次審査には通りましたがそのあとの実技審査でダメでした。それが2年目ですね。

で、3年目は書類で落ちてしまって。

 

編  書類で落とされるって、どうしようもできませんね。

 

吉岡 そうなんですよ。で、その3年目のあと、「1年に1回しかないテストで書類で落とされたりして、これをずっと何年もがんばるって自分の人生もったいないなー」って思いはじめていました。

 

編  それはテーマパークで働きながらですか?

 

吉岡 そうです。さっきも話したように当時はなんとなくまだミュージカルのほうに憧れがあって目指していて。だから働きながらも他でミュージカルのオーディションがあったら受けてみたりしていたんです。

 

編  なるほど。

 

吉岡 例えばミュージカルの配役で、主役がまず芸能人、そして他の役などをオーディションの審査で選ぶということがあるんですが、そもそも自分たちのような一般応募はアンサンブルっていう群衆の中の1役しかオーディションを受けられないんですよ。

 

編  やはりそうでしょうね。

 

吉岡 まぁそれすらもなかなか受かるものじゃないです。もちろん自分がダメだったっていうのもあるんでしょうけれど。

そして一般の人は事務所に所属もしてないわけだし、僕の場合ももちろん「元〇〇の劇団にいた」とかそういうのもない。肩書きがないんです。

ですが、例えばタップがメインのミュージカルのオーディションの時。それは他の応募者も含めたみんなが見ている前で踊ったりする時があるんですけど、タップが全く踊れなくて棒立ちになっていてもどこかの事務所に所属していると2次審査に進んだりする人もいるんです。そういうのを何度か見ました。

 

編  やっぱりそういう部分があるんですか。

 

吉岡 その業界で何度かそういうのを見ていると、なんかばかばかしくなっちゃって。なんなんだこの世界はってほんとに思ってしまったんですね。

だからなんでタップなのかって話にもどりますけど、ミュージカルの世界に幻滅したからっていうのはありますね。

 

編  なるほど。

 

 

 

ほんとに実力が試される世界にいきたかった

 

 

 

 

吉岡 フェアじゃないな、と思いました。ミュージカルなのにダンスとかタップとか必要な技術で役が割り振られるのでなくて、そんなの関係なくまず芸能人にメインの役を振ってっていう部分も実力の世界じゃないなって思ってしまいました。もっと自分の実力で戦う世界でやっていきたいなって。

 

編  それでついにタップの世界にいくわけですね。

 

吉岡 はい。まぁそもそも僕は本来、専門学校がその研究所のようにあるべきだと思うんですよ。専門学校は無駄な時間がほんとに多い。

2年間勉強してもそのあとようやく、例えば研究生になって、また一からその必要な技術を毎日練習するんですよ。学校でそれをやっておけば即戦力にもなるし時間の無駄もないのに。

 

編  専門学校に通うだけでは足りないスキルが多いと思いますか?

 

吉岡 全然足らないですね、全然。

イメージしやすくいうと1か月しっかりやれば教え終わるようなことも半年くらいかけたりします、まぁこれは学校教育もそうだと思うんですけど。

 

編  学校と同じですね。

 

吉岡 そうです。みんなで横一線に手をつないで足並みそろえて進んでいくみたいな。

 

編  どういった形にすればいいと思っていますか?

 

吉岡 教える側は生徒個人のリミットを決めない事ですね

タップを始めたばかりの人にはこのステップまでしか教えないとか、バレエを始めたばかりだからここまでしかできないだろうとか、先生側は勝手に生徒の潜在能力を見定め限界を決め、目標をかなり低く設定しています。

そうではなく、学校側は生徒が卒業する頃に即戦力でやっていけるような状態を目指すべきで、その為に逆算して一年目から教えるべきだと思います。

 

編  なるほど。大人が勝手に限界を決めるようなものがあるから、全員が手をつないで育っていって、急にオーディションなんかで個人をふるいにかけられても苦労するわけですね。

 

ところで、タップの世界に飛び込むことを決意したあと、いきなりタップを教えたりタップダンサーとしてデビューできるわけではないと思うんですが、タップダンサーとしてはどういうスタートをしたんですか?

 

吉岡 今でもよく覚えてるんですが、テーマパークを退職をした21歳くらいの時、当時付き合っていた彼女にふられて悲しい最中、さらに習っていたタップの教室が閉まることになって。

その時教わっていた先生は東宝などのミュージカルのタップの振り付けや指導をしていて、「あ、こういう振付家という道もタップにはあるんだな」って思って。

それがきっかけでタップを職業にするっていうことを意識し始めましたね。やってみたいなって。

 

編  その当時はまだ人前でタップダンスをしたことはあまりない?

 

吉岡 ほとんどしたことないですね。それでも振付師になりたいなとか先生になりたいなと、そのころから思うようになりました。

 

編  プレイヤーではなく指導者になろうと思ったんですか?

 

吉岡 その時はそうですね。

 

編  教える側になろうと思ったのがスタートっていうのは意外です。

 

吉岡 当時の日記を見てみると・・・

 

編  日記つけてるんですか??

 

吉岡 ときどきです。今は1年に1回、日記じゃなくて年記を書きます。

当時通っていたスタジオが急に閉鎖する事になって、最後のクラスからスタジオ取り壊しまで1ヶ月程期間があったんです。その期間を先生が「練習に使っていいわよ」と言ってくれたので、毎日スタジオで練習していました。

その練習中に書いた日記にあったのは「1人でスタジオで練習してさみしいなぁ」って。たぶん当時彼女にふられたことも重なってたんでしょうけど。

でもその続きには、「今は孤独だけど、いつか教える立場になって色んな人が先生、先生と言って集まってくるようなタップダンサーになりたい」って書いてあって。で、先に言ってしまうと3年後にその日記をもう1度読んだときに、書いてあるその状態になってたんですよ。

 

編  いい話じゃないですかそれ。確かに文字にして宣言するとその状態になるって言いますけど、この話はすごいですね。

 

吉岡 で、そうなるまでの流れですが、まずその教室に通っていたときはいろんなタップのスタイルを勉強しました。

先生によってスタイルも違いますし。僕が当時やっていたのはいわゆる燕尾服を着てステッキをもって舞台で踊るようなスタイルですね。

 

編  見たことありますね。

 

吉岡 そこからだんだん、なんていうか音楽色が強いスタイルにいくようになりましたね。

 

編  なっていく、といってもまだ教えることはできないですよね?まず自分のプレイのスタイルがそういう方向に向かったってことですか?

 

吉岡 そうです。

 

編  なるほど。お金のこととかもあると思うんですが。

 

吉岡 なので練習しながらバイトしていましたね。

 

編  ちなみにバイトは何をしてたんですか?

 

吉岡 結構いろいろやりましたよ。たとえば・・・PHS売ったりとか。当時エッヂってあったのおぼえてます?

 

編  覚えてます。

 

吉岡 時給1500円くらいでそれをやってましたね。それは吉祥寺で。テーマパークでキャラクターをやってたときは浦安に住んでたんですけど、そのあとは中野とかその辺にも住んで、ユニクロでバイトしたりとかもしました。

 

編  専門学校を出たあと、まずは自分の技術を磨く修行のような期間を設けたって感じですね。そこからさっきの日記の実現に向かうんだと思うんですが。

 

吉岡 はい。23歳の時にタップを磨きたくて観光でニューヨークに行くんですが、その前の22歳の誕生日のときに自分の中で約束事をきめました。「これからなにがあっても毎日かかさず練習する」という。

 

編  毎日ですか。

 

 

 

 

 

 

当時の仲間と

 

 

 

吉岡 はい。当時家の近所に平和の森公園という公園があったんですがそこでやってました。

というのも、もともとすごく飽きやすい性格で何をやっても続かなかったので、なので自分としてはこういう決まり事を1回きめてみて、もしこれを1年間やることができたら来年ニューヨークに行くと決めてたんです。

そのころはニューヨーク帰りのタップダンサーと交流もあったのでいろいろ話もきいていて、その影響も大きかったですね。

 

編  すごいですね。

 

吉岡 結局、365日ではなかったかもしれないですけど雨だろうがバイトで何時になろうがカッパをきたりして1年間ずっと練習しました。それでタップダンサーとしてやっていこうって決意できたのかもしれないですね。

 

編  自分との約束をまもってニューヨークにいくわけですか。向こうではどういうことをしたんですか?

 

吉岡 レッスンを受けたり見に行ったり、観光と言いましたがはっきりいってタップのためだけに行きました。

(※観光と表現したのはビザを取得しての滞在ではなく、という意味みたいです)

 

編  帰国後は?

 

吉岡 帰国後は札幌に帰りました。東京の家はもう引き払っていたので。札幌の実家は美容室なので、閉店した夜はタップの練習にも使えるし自分にとって環境がいいんじゃないかなとおもって。

 

編  なるほど。

 

吉岡 東京でまたバイトしながらという選択肢もあったんですけど、東京だとお金もすごいかかるじゃないです

か。公園で練習していたっていいましたけどそれも結構大変なんです。苦情もきますので笑。それで札幌に戻りました。

 

編  やっぱり苦情がくるんですね公園でも。

 

吉岡 結構音が大きいですからね、聞いたことあると思いますが。

札幌に帰って、札幌のタップ業界はどういう感じなのかなと思ってタップを教えているスタジオを調べてみました。今だったらホームページですけど、当時はタウンぺージで笑。

 

編  なるほど。

 

吉岡 調べた後、体験レッスンを受けたりといくつかスタジオを見てみました。

 

当時はニューヨークから帰ったところだったので自分でワークショップを開きたいとも考えていました。

それで、自分のクラスができるスタジオを探している時、一度体験レッスンを受けた事があるKビートというスタジオに問い合わせをしました。空き時間をレンタルしてクラスを開く事はできないかと電話で問い合わせると、「一度会って話さないか」と言われました。

会った時に、うちのインストラクターとして札幌でやっていかないか?NYに行きたい時は好きな時に行ってもいいよ。北海道で一緒にタップダンスを広げていかないか?と言ってもらいました。

 

編  なるほど、そこで指導への道が開けるわけですね。

 

吉岡 そうです。その方はすごいやさしくて、自分のこれまでのことを話したらうちの専属のインストラクターでやらないかって言ってくれました

でもすぐにニューヨークに行きたかったので簡単にやりますとは言えませんでした。自分は正直者なので。

 

編  ええ。

 

吉岡 で、結局1回断ったんです。

 

編  あ、そうなんですね。

 

吉岡 何か月後に行くつもりだっていうのも決めていたので、ここに骨をうずめる約束はできませんと伝えました。

 

編  先生は吉岡さんに骨をうずめるつもりでやってほしかったんですか?

 

吉岡 はい、先程言ったように先生は当時北海道にもっとタップを広めたいという考えをもっていたので、そこに僕がちょうど現れたので、すごい巡り合わせだということで喜んでくれてたみたいです。

 

編  でも断るんですよね?

 

吉岡 はい。札幌に永住してこの先も専属のインストラクターとしてやっていくというのは断るんですが、先生がニューヨークにいつ行ってもいいし、それまでだけでもやらないかって言ってくれました。

 

編  すごいうれしい話ですね。

 

吉岡 はい。なのでとりあえずニューヨークにいくまでだけということで働かせてもらいました

そもそも、普通は指導者になりたい同じ立場の若者だったら願ってもない話だとおもいますよ。でも自分はニューヨークにいくって決めていたので、嘘はつけないので一度断った形でした。

 

編  先生からすると断られるなんてびっくりだったんじゃないですか?

 

吉岡 そうですね。びっくりしたと思います。

 

編  そりゃそうでしょうね。

 

吉岡 そのおかげでニューヨークにいくまでの間ではありますが、もともと考えていたワークショップではなくそこの生徒さんたちに教える専属という形でやることになりました。

 

編  なるほど。それで指導者としてスタートしたと思うんですが、やってみてどうでしたか?

 

吉岡 すごくいい経験させてもらいましたね。

 

編  はじめて自分がプレーヤーではなく指導者の立場になるわけですもんね。

 

吉岡 初心者の為のエクササイズを作ったり、多くの振り付けを作る機会があり、いっぱいいっぱいにもなりましたが、すごくいい経験でした。

 

編  その方は吉岡さんのタップの先生でもあるわけですか?

 

吉岡 いえ、その先生にタップを習ったのは体験レッスンの一回だけでした。

先生はもともとジャズダンスの先生で、ジャズダンスとタップダンスをスタジオで教えていました。そしてタップダンスというものを今後北海道に広めていきたいと考えていたという感じです。だからタップを教えてもらっていたわけではないです。

 

編  なるほど。ではそこでしばらく指導をしてニューヨークにいくわけですね。

 

吉岡 いえ、実はそのあとすぐニューヨークに行こうとしたんですがビザがおりなかったんです。それも運命の巡り合わせかもしれないですが、結局1年近くそこで指導していました。

 

編  先生はガッツポーズですね。

 

吉岡 そうですね、喜んでいたのを覚えています。「これは運命だな・・・」みたいな感じで。

今考えると何も実績がない自分をそこまで必要としてくれてとてもありがたい話です。

レッスンの前も後もいつも食事に誘ってくれて、どれだけ奢ってもらったかわからないです。

 

編  ビザはとれなかったけどその間の1年、ほんとにお世話になったんですね。

 

吉岡 めちゃくちゃお世話になりました。ほんとうに感謝してます。

 

編  そして、そのまま1年ぐらいそこで働いて、ようやくニューヨークに行くわけですね。

 

吉岡 それが、ニューヨークには行くんですけどその時もビザがおりなくて、また短期で行くことになるんですよ。

 

編  そうですか。

 

吉岡 だからそのときも3ヶ月間しか行けなくて、その後また札幌に戻ってきます。

 

編  ちなみに当時は英語は大丈夫だったんですか。

 

吉岡 いえ、全然です。喋れないまま行って向こうでなんとかという感じです。

 

編  まぁいってしまえば何とかなったということですね。

 

吉岡 そうです。あぁ、なんか話してると色々思い出してきますね笑。

それで戻ってきてからは自分でスタジオを借りてワークショップをやったりして、自分自身で活動するようになります。

 

編  先生の所には戻らなかったんですね。

 

吉岡 はい。今考えたら考えられないようなことですけどね、あれだけお世話になっといて背信行為ですね。ニューヨークに行く直前には僕のポケットに3万円ぐらい突っ込んでくれて応援してくれて。

 

編  一度ビザがおりなかった時に喜んでたって言ってましたけど、結局は応援してくれているんですね。

 

吉岡 ほんとにそう思います。なのに先生の所に帰らず、あ、お土産は渡しました笑。

実際先生にも実は自分でワークショップをしたり活動してるんですって言いました。あれは先生の度肝を抜いたと思います今考えると本当に申し訳ない事をしたと思います。

その時は僕はすでに自分でヒップホップの大会にタップダンスで出場したり、いろんなとこに飛び込みで踊ったりしてました。


ミュージシャンのジャムセッションてわかりますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

編  何となくわかります。

(※ジャムセッションは、レストランやライブハウスのような「ミュージシャンが生演奏をしている店」などで、予定されているメンバーではない人が飛び入りをしたり、別のミュージシャンと即興で共演するようなイメージを持ってもらえればいいと思います。)

 

吉岡 そういうのにタップダンスで出たりしていると、横のつながりもできて、例えば結婚式に呼ばれてそこで披露したり。もちろん仕事として。意外とギャラが良かったり、そういう風に生活してました。

 

 

 

結婚式会場にて。

 

 

 

編  でもそれもしょっちゅうあるわけじゃないですよね。何かバイトをしながらとかですか?

 

吉岡 その時はバイトはほとんどしてないですね。

 

編  じゃあ結構稼げていたんですね。

 

吉岡 まぁ稼ぎが多いわけじゃないですが、実家に住んでいたので殆どお金を使わなかったですね。

 

編  2回目に3ヶ月間行った時の向こうでの成果はどうでしたか。

 

吉岡 2回目に行った時はですね、一つ目標を決めてて。向こうで何かしらのショーに出て人前で踊るっていうのを達成しようと思って行きました。

 

編  なるほど。

 

吉岡 現在日本でもやってますがセッションと言うか、ミュージシャンとかタップダンサーとかが集まって前に出て順番に踊ってみたいな、そういうところでは踊ったことあったんですよ。

でもそうじゃなくて、もうちょっと大規模のホールというか、身内以外が集まるようなところで人前で踊れるように機会を作るということが目標でした。それも結局は達成することができました。

 

 

 

 

 

 

 

編  最初に行った時もその2回目に行った時もそういう場所とか、タップダンスできるところは調べてから行ったんですか?

 

吉岡 その頃付き合ってた彼女がニューヨークに住んでたことがある人だったので情報を色々もらってました。どういうところでタップダンスをやっているだとか。

 

編  じゃあそういうところに行ってなんとか交渉してという感じなんですね。

 

吉岡 そうです。向こうは人に認めてもらえれば人脈も広がって、次にまたチャンスがあるっていうのも聞いてました。

 

 

 

 

 

NYでのソロ公演。

 

 

 

アポロシアターでも。

 

 

 

編  最初にニューヨークに行ったときもそういう、人前でタップをする活動はしていたんですか?

 

吉岡 やりました。ミュージシャンが演奏をしているところでタップダンサーも踊れるようなところに入って。で、ピアノ弾いてる人にこの曲を弾いて下さいと言うんですよ。ジャズとか。それで、あとはアドリブでやるんです。

 

編  なるほど。

 

吉岡 最初に行った時は、それまでアドリブでやるような経験ももちろんなかったので難しかったです。

 

編  ものすごく難易度が高そうですね。1回目に行った時なんて、さっきの話だと日本にいた時も含めて人前ですらほとんど踊ってないわけじゃないですか。

 

吉岡 そうですそうです、全然やってないですよ。日本にいるときは練習ばっかりでしたからね。

1回目に行った時にそういうアドリブや人前でやる機会も経験できて、先ほど話したように一度札幌に戻って1年間講師をやって。なので2回目に行くときは、ミュージシャンとセッションするだけじゃなくちゃんとしたステージで踊れるようにという目標をたてました。

 

編  結果、それは達成されたといっていましたが、それはどういうきっかけでやれたんですか?

 

吉岡 まず週に2回、さっき言ったようなジャムセッションで踊れる場所でタップをやってたんですがそれ以外にも何か噂で、「あそこでタップ踊れるらしい」とかそういうのを聞きつけたら全部行くようにしてました

 

 

 

ハーレムにあるジャズクラブのホストの方と。

 

 

 

 

ひたすら人前で踊るようにしてましたね。そうすると人づてに紹介とかがあってステージでやれる機会をもらえた感じですね。そのうちローカルのチャンネルでも踊る機会がもらえて。

 

編  それもすごいですね。

 

吉岡 当時は「テレビデビューしちゃったよアメリカで!」みたいに勝手にちょっと盛り上がりました笑。

 

 

 

 

 

 

 

編  それがジャムセッション以外で人前で踊れた機会だったんですか。

 

吉岡 それともう1回、これも人づてでそういう場所に呼んでもらえる機会があって。実際3ヶ月しか居られないというのがわかっていたので本当にひたすらセッションに行ったりしてたので縁があったんだと思います。

当時はやっぱり人前でやるとか、そういうショーに出る経験を積むみたいなことを重要視してました今は本当は人前でやるとか有名になるとか、実はどうでもいいんですけれども。

 

編  そのあと札幌で個人で活動し始めるわけですね。

 

吉岡 そうですね。ワークショップとか行ったりして、まあそんなに人はあつまらなかったですけどね。

 

編  当時24歳とか25歳ですよね。

 

吉岡 そうです。戻ってきて札幌で半年ぐらいそういう活動をして。でその後25歳でついにビザが取れて本格的にもう一度ニューヨークに行きます

 

編  ついにですね。そこからはかなりの期間ニューヨークにいたわけですよね。

 

吉岡 10年弱いましたね。

 

編  もう完全にタップをするためだけにいってことですよね。

 

吉岡 そうです。本当にずっとタップばっかりやってました。練習はずっとやってましたね。環境も自分で探して、お金がかかるんだったらとにかく安く長く練習できる場所を探して。

 

編  なるほど。その滞在してた間はタップでお金が稼げたんですか。

 

吉岡 タップではそんなに稼げてないですね。

 

編  向こうではアルバイトをしてたんですか?

 

吉岡 してました。あと親にもサポートしてもらいましたね。

実は長期で行こうとした直前に親父に呼ばれて、うちは本当にお金がなかったんですけど、突然お金を渡されて。「お前これ自分の口座に入れてこい」って言われて。びっくりしたんですけどそれでやって来いっていうことだったんですよ。

 

編  生活できるぐらいの額ってことですよね。

 

吉岡 そうです。実家はとんでもなく貧乏なわけではなかったんですけど全然裕福ではなかったんで、めちゃくちゃ驚きました。でも何にもしなくても生活できるって言う額ではなかったので、バイトして自炊して。借りてた家も当時3万円でしたからね。めちゃくちゃ節約して向こうでは生きてました。

 

編  逆に、なんで戻ってきたんですか?

 

吉岡 全然戻ってくる気はなかったんですけど、一度休暇で戻ってきてついでにビザも更新しに行ったら却下されて結果としていけなくなっちゃいました

 

編  戻ってくる気はなかったんですね。それで今は仕方なく日本に住んで生活してるということですね。

 

吉岡 そうです。

 

編  じゃあ今はこっちにいないといけないと思うんですけれども、今後は何かビジョンはありますか?

 

吉岡 タップは学び続けたいなと思うんですけど昔みたいな大きな目標とかは実はそんなにないですね。

 

 

 

 

 

 

編  教える側をやりたいってことですよね。

 

吉岡 将来的にはやりたいですね。でも不特定多数にではなく特定少数に伝えたいですね。

 

編  それは何でですか。そういえばさっきも、今は別に有名になりたいとか広めたいとかがないという話をされてましたけど。

 

吉岡 10年間アメリカに行ってた時に習ってた僕の師匠がいるんですけどその人の考え方に影響を受けていると思います。

 

編  師匠の人はそういう考え方なんですか?

 

吉岡 そうですね、タップを広めていくというより、タップの歴史や伝統を守っていくという考え方です。

 

編  その方はどうやって知ったんですか?

 

吉岡 タップダンスをやっていれば誰でも知ってる人です。タップの神様みたいな人ですね 。

 

編  名前はきいて大丈夫ですか?

 

吉岡 セビオン・グローバー(Savion Glover)っていう人です。

 

  そんな大物にどうやって師事を仰ぐことができたんですか?

 

吉岡 彼がタップのカンパニーを作るという事でオーディションを開催しました。カンパニーというのは、簡単に言えばグループやユニットのような形だと思ってもらえればいいと思います。それに応募しました。

 

  それで合格することができたんですね。

 

吉岡 まあ細かく言うと1回目は落ちたんですけどね。日本人の友達何人かも受けてて、オーディションの帰り一緒に食事に行って解散するとき「じゃあまた明日ね」と言われて。え、何それ?ってなって。要するに僕は2次審査に進めてなかったんですよ。

 

  そうだったんですね。

 

吉岡 でもその後2週間後ぐらいに彼が Facebook でもう1回募集をしてたんですよ。それを一緒に食事してた友達が教えてくれて。

僕としては一回落ちてますし「また募集してるんだな」ぐらいでいたんですけど、その教えてくれた友人が、彼は結構グイグイいく性格なんですけど、「??もう一回受ければいいじゃん」って当たり前のように言ってきて。

 

  その彼は合格してたんですか。

 

吉岡 合格の通知はその教えてくれた時はまだ彼にはいってなかったです。結果がまだだったんです。なのでその2週間後に再度オーディションを受けた僕も合格するんですが、合格の通知はそのあとに同時に来てます。

 

  なるほど。

 

吉岡 その彼がそういう風に簡単に「受ければいいじゃん」って言うのを聞いて、自分も後悔したくなかったので受ける事にしました。実は、このカンパニー自体が僕がニューヨークに長くいた理由でもあるんです。セビオンは過去に何度かカンパニーを作って公演をしていた事があったので、もしかするとまた将来的に同じようにカンパニーを作る事があるのではないかと思ってずっと待っていました。

 

  ついに狙ってた機会が訪れたってことですね。

 

吉岡 はい。友人とも「そろそろカンパニーを作るんじゃないかな?」とか、そういう話をした事あります。だから友達にあっさりそう言われた時(もう一回受ければいいと言われた時)、自分がニューヨークに滞在している理由にもなるほどの、あれだけ憧れてた人がこんな機会を作ってくれてるんだから迷わずもう1回行こうと思いました。

 

  その友達が当たり前のように再度受ければいいじゃんと言ってくれたことで何振りかまわなく飛びつくことができたのかもしれないですね。それで2回目にオーディションを受けて合格するんですね。

 

吉岡 そうです。2週間前に受けて落ちてるのに普通に受けに行って、セビオンも「あれ?」みたいな感じでした笑。「前回も見たけど今日は何を見せたい?笑」という感じでしたね。

 

  ひょっとすると向こうも嬉しかったのかもしれないですね。

 

吉岡 気持ちだけは伝わったと思います。

それでそのあと1年半ほどセビオンのもとでタップを勉強しました。

 

 

 

 

 

 

  彼のところでの勉強というか、習うのは週に何回あったんですか?有料ですか?

 

吉岡 クラスは週2回、無料です。

 

  それだけの期間無料で学べるってすごいことですね。

 

吉岡 はい、普通彼のようなすごいタップダンサーが無料で1年半も教えるなんてありえないと思うんですよね。しかもショーがある時は逆にギャラが貰えます。

自分からしたら憧れ続けたタップダンサーと同じ舞台に立てるだけで本当に奇跡みたいな事で、しかも無償で教えてもらってお金をもらうなんて申し訳ないくらいでしたよ。

 

  かけがえのない経験ですね。1年半学んだその後はそこはやめたんですか?

 

吉岡 やめたというよりは自然に呼ばれなくなったというのが正解ですね。

活動してた時もセビオンが忙しい時はカンパニーはしばらく中断になって、その後また活動を再開して、という事が何度かありました。

ある時一年間中断した時があって、再開してまた活動していたんですがその後再度少し中断した後は呼ばれませんでした。

継続して呼ばれていた人もいたので何か彼なりの理由があったんだと思います。

 

  なるほど、それでその後は向こうに行けないので今日本で活動してるって事ですよね。

 

吉岡 色々個人的な理由があってショーに出演したりしてないんですけど、タップの練習はいつもしてますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ステージにてライブ中の吉岡さん。

 

 

 

  特に目標がないといっていましたが?

 

吉岡 タップの技術を向上させていくという目標は大前提で有りますよ。

他にも昔は大きいこといっぱい言ってた時期あるんですけど、そういうのとは今は違いますね。年齢を重ねるにつれて少しずつ変わってきました。

今は、まずは彼から教わったものを毎日練習して身に着けることが最優先、という感じですね。

 

   ニューヨークにいた10年間と、セビオンに師事を受けた1年半が考え方を変えた、要するにそれだけ影響を受けたということですか。

 

吉岡 そういうことですね。

 

 

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